資本主義にドロップキック~呪いを解き放て~(前編)

こんにちは、サステナブル・ラボ株式会社CEOの平瀬です。

ソースたっぷりの、こってりタコヤキ。
私は社内で、あるいは近しい人たちから、よくこう言われます。そして自分でも自覚はあります…。(ちなみに関西出身でタコヤキは大好きなので、悪い気はしていません。)
この、こってりコテコテよばわりされる私の頭の中身を、これから少しずつ社外へも発信していきたいと思っています。ぜひお付き合いいただけると嬉しいです。

さて、今回のテーマは、資本主義にドロップキックをかましてやりたい、という話です。
初回ということで、キック、いえ、パンチの効いたテーマでいきたいと思います。

そもそも、我々サステナブル・ラボは、今の資本主義のあり方をアップデートしようとしています。売上・利益などの経済的な「強さ」が追求され続けた結果、世界では気候変動やパンデミック、貧富の格差など様々な歪みが生じています。我々は、「強さ」に加え、環境や社会への貢献度、人間合理性などの「優しさ」を計ることができるデータインフラを開発・提供することによって、今の資本主義のあり方を見直し、「強さ」と「優しさ」の両軸で企業や社会が評価される世界の実現を目指しています。

このミッションをかかげ、資本主義にドロップキックをかましたいと考えているひとつめの背景として、まずは社会・経済について考えてみたいと思います。

我々は、そもそも何のために生きており、何のために社会をつくっているのか。何のために技術を開発し、あらゆる商品やサービス、仕組みを生み出してきたのか。

原始的なところまで遡って考えてみると、あくまでもすべては「well-being」、つまり身体的、精神的、そして社会的な幸福、ひいては最大多数の最大幸福のためにつくられてきたものだと私は信じています。日本古来の「三方良し」もまさに「well-being」。売り手と買いがともに満足しつつ、社会貢献もできるのがよい商売である、という考え方です。

日本語における「経済(economy)」の語源は「経世済民」です。

これを辞書で引くと
『世の中をよく治めて人々を苦しみから救うこと。また、そうした政治をいう。「経」は治める、統治する。「済民」は人民の難儀を救済すること。「済」は救う、援助する意。「経世済民」を略して「経済」という語となった。』(三省堂 新明解四字熟語辞典より引用)
とあります。

ここには政治的な意味合いも含まれており、人々を救済する、よりよく生きられるようにする、という側面が強くあります。

昨今一般的に使われている「経済」、つまりみなさんが「経済」という単語を聞いて想起するものとは、少し乖離があるのではないでしょうか。

そう、我々は今の資本主義社会を営むうちに、いつの間にかそもそもの原理原則を忘れ、その一部の側面だけを切り取り、信じ、突っ走ってきてしまったのだと思うのです。世の中をよりよく、多くの人をより生きやすくするためのひとつの手段としてあったはずの「お金儲け」が、いつの間にか目的となり、企業はそれ「だけ」を実現するための箱と化しつつある。そして「経済」という言葉はいつの間にか「社会をよくする」という意味合いから切り離されてしまい、いかに儲けられるか、いかに利益を生み出すことができるのか、という点のみに焦点があたるようになってしまいました。

我々は大いなる誤解、おおげさに言えば「呪い」にかかっているのだと思います。私はここに、ドロップキックをかましたい。原理原則にかえろう。目を覚まそう、と。ちなみにドロップキックのエネルギー源となるのが、我々の提供している「優しさ」を照らすためのデータインフラだと考えています。

念のためひとこと断っておきますが、私は今の資本主義の在り方を全否定したいわけではありません。「強さ」と「優しさ」の両方が必要だとお伝えしているように、経済的な「強さ」がなければそもそも生きていけません。「強さ」に加え、「優しさ」というプラスαの、いつの間にか忘れ去られてしまった視点を取り戻そう、という話です。

「強さ」だけを追求してきた企業や社会が、「強さ」に加えて、「優しさ」の視点を兼ね備えることで、この社会のあり方を大きく変えることができると私は信じています。

さて、今日はせっかくの機会なので、「強さ」と「優しさ」という考え方をもった個人的な背景についても少し触れてみたいと思います。

「苦労は買ってでもしろ」という言葉があります。苦労は人を磨く素晴らしいものだ、という意味合いです。戦後のどさくさを生き抜いてきた私の祖母は、この言葉について、半分合っているが、半分誤っている、という話をよくしてくれました。苦労をした人が、他人には同じような想いをさせたくないと考え、強く優しくなることも確かにある。一方で、苦労は人を絶望させ、歪ませてしまうことも大いにあるのだ、と。

私はこの話を聞いて、せっかく生きるなら、自分が苦労をした時に人に優しくなれる人間になりたい。そして優しくなるためには、苦労を乗りこえる強さが必要なんだ、と考えるようになりました。

加えてもうひとつ。みなさんはこの言葉をご存じでしょうか。

「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きる資格がない。」

これは米国人作家レイモンド・チャンドラーの「プレイバック」という小説に出てくるセリフです。過去に本で出会ったこの言葉が非常に核心をついていると感じ、ずっと自分の心のなかに残っています。人が生きるためには、「強さ」と「優しさ」両方が必要だ、という自分の考えがより強化されました。

ほかにも色々ありますが、大きくは祖母と本からの影響を大いに受け、社会に対しても「強さ」と「優しさ」両方の観点が必要だと考える基盤ができあがりました。

ドロップキックをかましたい背景、ひとつめだけで随分長くなってしまいました…。
私自身のこれまでの経験から形成された、ふたつめの背景については、次回詳しく書いていきたいと思います。

今回は、資本主義にドロップキックをかましたい背景について、そもそもの原理原則に立ち帰ろう、という話と、「強さ」と「優しさ」という考え方をもった背景について書いてみました。少しでも理解・共感いただける点があると嬉しく思います。

お付き合いいただきありがとうございました!

>>>後編に続く

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